本の作業を進めながら、応援やいろんなコメントを頂く。
形になるんだということが、だんだんリアルになってきて、淡々と作業をしつつものすごくそわそわしている。

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そんな中、芸能人が自ら命を絶ったり、それに対し別の芸能人が「死んだら負け」という辛辣な言葉を浴びせたり、障がいを持つスポーツ選手のポスターのキャッチに「障害を言い訳にしない」という言葉が大書きにされて物議を醸していたり、いろいろな話が目に入ってきて、やるせない。
苦しさや葛藤を、どうして勝ち負けの話にするんだろうね。

自分の境遇との向き合い方は、本当に千差万別だ。
乗り越える人、乗り越えられない人、付き合う人、ずっと苦しい人。個人の中にだって、答えも正解もない事の方が多いだろうに、第三者が勝ち負けのジャッジをすることに何の意味があるだろう。

つらい経験は糧になるのかもしれない。けれども、「糧になるかもしれない」何かの為に失ったものの数は本人にしかわからない。それをないがしろにして「糧になってよかったね」なんて、安易に言うのは、励ましどころか、本人を孤独に追いやる刃になるだろう。
寄り添う気持ちがすっぽり抜け落ちた優しさは、ただただ虚しい。


自らの葛藤に向き合うことは本当に大変なことだ。私は今カウンセリングを月に何度か受けているんだけど、これが毎回なかなかつらい。
消化できたら多少生きやすくなるだろうと思って、自分の問題の話をしているけど、つらい。乗り越えられるなら乗り越えたいけど、それ以前に、向き合う事が出来なくて困っている。例えるなら、ピントが壊れたカメラのような感じだ。
それをどうにかやっていくのは、「自分との戦い」というようなロマンチックなものではなく、どちらかというと生活との戦いという感じがしている。

ご飯を食べること、人と関わること、そこそこに笑ったり泣いたりできること、無理がなければ働くこと、起きること、1日死なずに、次の日まで眠ること。
私が望んでいるのはその程度のことだ。その程度のことが戦いなのだ。いまのところなんとか、ゲームーオーバーを免れているが、本当は別に戦いたくない。
誰かより上で勝たなくてもいい。誰かをを蹴落としたくもない。

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漫画の作業を進めながら、これが誰かの役に立つように、死にそうな人のところへ行けるように、とずっと考えている。
私は戦いたくない。でも、死にたくない。そして、殺したくもない。