日記。

「善意が時々、暴力的になるのはなんなんだろう」みたいなことを人と話した。
障害についてやたらと世話を焼こうとする人や、他人に対する善意について。
「愛とか正義って、本来は良い言葉なのに疎んじられがちなのは何なんですかね」と言ったら「一方的だからじゃないですか?」と返ってきた。
そうかー。


支援とか、手助けとか、それ以前に、愛情とか。

必要なだけ足りているかという事と、「足りていると感じるか」という事は別なんだろうとよく思う。与えられることが必要かどうか、判断するのは他人ではなく本人だ。
一方的な判断で踏み込んで関わろうとするのが暴力的になることも多いだろう。
でも、そう解っていても関わらずにいられない時がたくさんある。

自分がこれまで人にかけてきた、余計なお世話かもしれない言葉。
笑顔で向けられた嫌な言葉。
それはたぶん愛情であったけれども、 本当にそれとして働いていただろうか?

ネガティヴな要素として傷つけるのはすぐなのに、ポジティブな要素として相手を守れた時は、ずいぶん先までそうと気づかなかったりする。
そこが厄介なんだ。