大きな流れができると、その流れに乗れない(入れない?)(入らない、というわけではない)人たちが必ず出てくる。政治についての話題が盛り上がる中、その事にずっとモヤモヤしている。

政治の話は生活の話で、それはつまり日々を営む心の話だ。

絵を描いたりライブをやったりしているけど、私は基本的に大きな声が苦手だ。
比喩的な意味でもそうだし、本当の声はもっと苦手で、映画で怒鳴ってるシーンにすらびっくりする。怒鳴り声でも泣き声でも大笑いでも、わかりやすい大きな感情の発露を見ると瞬間、気が遠くなってしまう。

政治について--具体的には、先日の選挙について、ずいぶんあちこちで「選挙に行こう!」「いまの政治はここが危ない」という呼びかけがあった。私も危機感から、そのような声を出したけれど、言いながら、動きながら、その声に引いている声をなんとなく感じていた。
反対意見ではない。「大きな声に引く」という声だ。
 
日常的にSNSを見ていると慣れてくるけど、次から次へと流れてくる強い意見の中を泳ぐのは本来、とてもスキルがいることだ。皆がそんな風に泳げるわけではないし、それが正解というわけでもない。

けれど、何でもかんでも早く進めてしまえるようになると段々、早く進められる事を前提にいろんな事が動くようになり、少しペースが遅くなっただけで「ちゃんと考えていない」という事にされてしまったりする。それは抗えない時代のペースなのかもしれないけど、時間をかけて向き合いたい事まで「スピードこそ善」と言わんばかりにツルツルと流してしまうのは、なんだか失礼な気がする。


伝えたいメッセージがはっきりし、実際に行動に移す度に頭の片隅で、学校に行けなかった頃の事を思い出している。身も蓋もない事を言えば「考えてないでさっさと動けばよかった」という事なんだけどあの時は、動かなければいけないという焦りの中で、耳を塞ぐのに精一杯で何も出来なかった。
でも動きたくないわけじゃなかった。

今もそういうところはほとんど変わっていない。逃げ切れるなら、現実からも感情からも逃げたい。戦いたくないしぶつかりたくないし声を荒げたくもない。
でも逃げ続けるわけにはいかない。


だから、戦わないで、ぶつからないで、声を荒げないで、怖い顔しなくていい、現実との付き合い方を探そうと思っている。選挙へ行こうというポスターを描いたのもそうだし、普段の絵もゾンビ道場もカウンター達の朗読会も、全部目的はそこだ。
怒らない革命、怒鳴らない意思表明、柔らかくて重い主張。小さくパタパタ振る反旗。
そんなもんないよ、と思っている。だから作りたいのだ。

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「絵が文章にぴったり!すごい!」って思ったけど、よく考えたら同じ人が書いているんだから当然よね。灯台下暗し…。
こちら、BOOKS9に置かせて頂いているものです。ぜひぜひ実物を見に来て下さいませ…!(ちゃっかり宣伝になってしまった)