引き続きまだまだ、「自分を越える」って何なのかと考えている。


20150429日記


先日、あまり親しくない人から人生設計について意見される事があった。

あれはそのくらいの年齢でやっておくべき、とか、
こういう事を考えているなら早い方がいい、とか。
女性なら今のうちに何を考えておいたほうがいい、とか。

あまり好きでない考え方だったので「なるほどぉ〜」などと言ってスルーしたのだけど、その話を友人Kさんに言ったところ彼女は

「は?その人がトキンの人生に何の関係があるの?そんなこと無責任に言われる筋合いないじゃん!」

と、まるで我が事のように怒った。

Kさんは十代からの友達で、私のことをよく知っているので、そのように怒ったのかもしれないし、彼女自身そういう発言をされて腹を立てた事があるのかもしれない。

ともあれ、友達が私の事について怒る、という展開に、友情を感じてニヤニヤしてしまった。

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別の日。

耳鼻科の検査に行く為に、約束をドタキャンしてしまった相手から
「耳の具合はどうでしたか」
と、心配の電話がかかってきた。

「ドタキャンとか迷惑だよなあ。悪いことしたなあ…」と心苦しく思っていたのでわざわざ連絡をくれるという事に、これまたビックリ。
「ありがとうございます」を連発、マンガみたいに、電話を持ちながら頭を下げた。

私が私から出ていく前に、相手が私の方へ来てくれる事もあるのか。

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で、「自分を越える」という言葉の意味。

私が私の頭の中から外へ出て行く事がそれだろうと考えていたけど、もしかしたら、相手と繋がる為に、相手と自分との隔たりを少なくするのも「自分を越える」の内に入るのかもしれない。
越えるというより、繋がる感じ。

出ていこう、と思う時点で私はもう「今いる場所」「これから出ていく場所」という境界を設定している。
まず、それを取り払うこと。
自分一人で想像しうる「越え方」なんかじゃ、大して何も越えらんないんだ。