人当りは割と温和なつもりだけど、よく、怒っている。
怒っているのに声を上げられないから怒っている、というよくわからない時もある。

29日にイベントでご一緒させて頂く奥主榮さんに先日会いに行き、イベントで読む原稿を見ながら少しその話をした。

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最近、以前より意識的に文章を書く量を増やしているんだけど、その時どうしても自分の中の怒りと対峙しなくてはいけなくなる。

私が悲しさについて執着してものを作っている根底にあるのは、悲しさを蔑ろにする人や出来事や社会に対する怒りだ。
立ち上がるために泣くとか、未来のために泣くとか、そういうんじゃなくて、ただ悲しむ、ただ泣く、そういう事をアウトとしてしまう事に対して私は怒っている。
だから絵を描く、そして言葉を書く、話す、考える。
そうすることによって、告発したいんだと思う。 

ただ、その時にたまに私は、自分の加害性を忘れている。
被害者性に取り憑かれて、相手の肩を大声を出して揺さぶるような表現をしてしまいたくなるのだ。
簡単だから。白黒はっきりさせて、善悪を明示して、「ひどーい」って声を出すのは簡単だから。
簡単で、そしてとても傲慢だ。 


奥主さんが、朗読会用に送ってくれた原稿は、その辺りの表現がとてもフラットだと感じた。
傷の存在は明示しつつ、原因の所在については明言しないというか…。
はっきり言って羨ましい。
(親ほどの年の人に対して私は何を言っているんだろうか?)

それについて少しこぼした所、返ってきた言葉は
「どちらがどう悪いって言ってもどうしようもない事というのがあると思っていて」
というものだった。
本当にその通りだと思った。その通り過ぎて「あー」とか言ってしまった。


責任の所在がない事というのがある。
誰かを責め立てたい気持ちと、自分の至らなさへの悔しさと、それを同じだけ滲ませてしまう傷が、世の中にはたくさんある。

誰かを絶対的な悪と決めつけて大声を出したい。
でも、自分にも悪い部分があるのをわかっているからそれが出来ない。
怒りにもなっていない、ただの感情の塊のようなものの話を私はいつもしているのかもしれない。
 
何かに対してもっと堂々と怒りを表明出来たら楽になるんだろうか。
でも、それを躊躇なくやれるようになるのはとても恐ろしい事なんじゃないかとも思う。

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3月29日(日) 阿佐ヶ谷 夜の午睡(よるのひるね)
奥主 榮 朗読会
ゲスト:白糸雅樹、松岡宮、Tokin 

開場15:00 / 開演15:30
前売り予約 1000円+1ドリンク / 当日 1300円+1ドリンク 
 
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