某日。

心理カウンセリングオフィス、Picardy 3rd.さんにて打合せ。
この日は、ここの先生と一緒に、夜のお仕事の調査研究をされている水嶋かおりんさんからも、いろいろお話を伺う。
私は、今年に入ってから、こちらでイラストなどの点で微力ながらお手伝いをさせて頂いています。
(性質上あんまり言っていいのか解らなかったんですが、情報オープンのご許可を頂きました…)


仕事の話、現場の話を聞いて、へー、とか、ほー!とか言う。
どちらかといえば支援するよりは、支援される側なので、話を聞きながら、納得したり、モヤモヤしたり。

メンタルケア方面の人と話してると卑屈に「わかってないよ」と思うことがよくあります。
もちろんわかってない訳がなくて、むしろわかってるからたくさんの解決策を持っているんだけども、輝かしい解決策って輝かしすぎて遠くて眩しくて、なんだか、目指すのが怖い。そこに行ける気がしなくて悲しくなってしまう。

私について話されているわけではないのに、そういう気持ちを思い出して、また、未だにその気持ちを持ってる自分を見つけて、うわっとなった。

支援だとか制度について話されていると「そういうんじゃない」とよく思う。
疎外感から来る子供じみたワガママだ。
嫌なことはたくさんある。でも何がいいのかはよくわからない。
わからないからモヤモヤするんだけど、本当はたぶん、答えが欲しいわけじゃないんだ。
モヤモヤしてもいいんだよと言って欲しい、頭を抱えることを許して欲しい。
本当にワガママなことだし、そんなのかっこ悪いから伝えないけど。

このところずっと、表現っていうのはなんなんだろうと考えていた。
解決策を提示したり、具体的な方向に繋げる事が出来る医療や福祉に比べて、絵や音楽がやれることなんかなんにもないじゃん!みたいなこと。
私は制作に於いて、人の痛みや重さにクローズアップしている。
それは私個人の話でありながら、なぜか私以外の誰かの為という意識が強いんだけど、具体的なつらさや現実的な問題について絵が何を出来るのか、なぜ絵で何か出来ると信じられるのか。
「私は絵描きだから」という観念的な言葉以外の答えが出てこなかった。

でも、いいんだよな、別に。何も解決策を提示出来なくても。興味本位でも自己満足でも。
だって、つらい時に提示されるの解決策だけだったら余計つらいだろ。

解決策ではない“モヤモヤ”の部分を、そういうのあるよねえ、とキャッチする。キャッチして一緒にモヤモヤする。
それが、絵や音楽がやれる事なのかもしれない。

そんなモヤモヤなんかもう必要なくなって、もっとキラキラしたものを見たくなったら、もう痛い部分について気にする必要がなくなったら、もちろんそれは嬉しいことで。
そしたら何かあったとき、その先は、解決策チームに当たる医療だとか福祉だとか支援だとか、そういう人がうまくやってくれるだろう。

先生やかおりんさんと話をしていて、専門的な知識や学説は到底ついていけないなと思ったし(当たり前か!)、ついていかなくてもいいんだなと思えた。
私がいる=担当している?のは、そっちじゃない。
外側の現実と、内面的なファンタジーを繋げる橋渡し・通訳みたいなことだろう。


先生はオフィスの壁に私の絵をかけて下さっていて、クライアントさんが絵を見てこんな話をしていた、なんていう事をしばしば話してくれる。
この日の打合せでも、難しい話の中で、まんがなら伝わるんじゃないか、かわいいイラストをつければ見やすいんじゃないか、とたくさん話すことが出来た。
やわらかいものが、わかりやすいものが、安心するものがいい。そういう話をした。

難しい話を簡単に、見えないものを形に、必要な話しを必要な人のところへ渡すことがするのが自分の役目なんだと感じて、すごく嬉しかったよ。

もっと自分のスキルに誇りを持とう。そしたらもっと見えるものが、つながれる場所が、きっとたくさんある。

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…そして次回のライブペイントはこちらです。
ぜひぜひ、遊びに来てください。

5月1日(木)
神楽坂EXPLOSION
「Purple Zone Vol.1」
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出演:
バクガキ+Tokin、シベールの日曜日、mizuumi、チバ大三×山崎怠雅

Op 18:30 St19:00

前売 ¥2200 当日¥2500(+1オーダー)

■ライブペイントのアーカイブはこちら!
http://tokinfile.tumblr.com

■チケットのご予約はバクガキホームページにて承っております。
http://bakugaki.jimdo.com