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ボールペン展の絵を制作中。
花言葉をテーマに8点ほど出品します。去年は大きめでしたが今回は割とみんな小さめです。

去年同様、作品はすべてお買い求め頂けます。クリスマスプレゼント感覚でみなさまのお手元に渡れば、なんて考えております。がんばるぞー。

作業してるといろいろ考えがめぐるのだけど、なんとなく昔のことを思い出していた。ツイッターに少し書いたらもうちょっと書いてみたくなったので…。





空の高さに絶望していたことを、割とよく思い出す。今あれがなんだったのか、うまく言えないけど、何も入ってこない頭に無理やり何かを詰め込もうとしてあの時はやたらめったら動き回っていた。

いま思うと解離がひどかったのだと思う。
何かを感じるとかいうことがわたしにはとても難しかった。
感動したり泣いたり笑ったり、そういうのが欲しくていろんなことをした。
でも、何をしても何も響かなくて、そのことがとても怖かった。生きているのに、死んでいるみたいで、そのことの恐怖感だけがいつも頭の中にあった。

今はもうその辺はずいぶんまともになったけど、思い出すと今でもヒリヒリするしあの感じの中でよく死ななかったな、と思う。

今年に入って、本当にビックリする暇もないほど、知っている人が次々自殺で亡くなった。
死にたいと思うか、実際に死ぬか、それはとても大きな違いだけど、その線を超えること自体はとても簡単だ。少し肩を押せば落ちてしまう程度のことだと思っている。
どうやら、生きることから脱落するのはそんなに難しくない、らしい。

だからこそ、泣きわめいたり自傷したりめちゃくちゃやりながらも、その線を越えなかった自分を、ほんとはもっと褒めてもいいんじゃないかなとちょっと思った。

勿論、わたしに限った話ではなくて、そういった、すんでのところで踏みとどまれている人(つまり、そのギリギリのところに立ってしまっている人)ってのは、とてもすごいんだと思う。

生きることが、当たり前のことではなく、常に、死という選択肢を頭に持ちながら、でも生きる、って、それはとても尊いことじゃないだろうか。

スポーツ選手とか、仲間で何かを成し遂げるとか、もちろんそういうのも、生(せい)を感じることだけれど、自分と重なるということもあって、死にそうなギリギリのところで、生きることを選んでいる人がいるということに、たまにほんとに涙が出る。

なんでそこまでして生きるんだろう、と考えたら、胸がつまる。

「死にたい」は「生きたい」
という言葉を、メンタルヘルス周辺ではよく聞く。
死にたい、と誰かに言うことは、ほんとは生きたいけどどうしたらいいかわからない、という言葉なのだろう。

私も死にたいと言って泣いたことがたくさんあった。でもやっぱりそれは、生きたくて仕方なかったからそういう風に言っていたんだと思う。

身を切るような葛藤の中で死ぬことを選ばなかったことを誇りに思う

なんとかなるよ、なんて無責任だし、苦しくて苦しくて仕方ないひとに「それでも生きて」と言うことが正しいのか私にはわからない。死ぬことで楽になるなら仕方ないのかなとも時々考える。

だけど、そういう苦しみの中にあって、そこで涙とか鼻水流しながら生きてる人の、そのエネルギーに、わたしは拍手をしたい。

……
という話しと全然脈絡がありませんが、今後のスケジュールはこんな感じです。
12/24以降については後ほどサイトで詳細をUPします。
よろしくお願いします。

●12/1 浅草KURAWOOD (ライブペイント)

●12/9〜15 横浜関内 ギャラリーミロ
「ボールペンアート展」

●12/24 吉祥寺曼荼羅 (バクガキ×Tokin)

●12/31 高円寺Mission's カウントダウン36時間ライブ
(バクガキ+Tokinに加え、ソロライブペイントでも出演します)

お問い合わせ、チケットのご予約は
tokin528@gmail.comまでどうぞ。