展示まであと二週間をきりました。

今回のLIFE展、来場者の投票という非常にシビアなものがあります。
如実に自分の努力度数が解るというのは怖くてブルブルですが、
「これが人の秤にかかってジャッジされるんだな」
と思ったら制作の段階でもうブルブルしすぎて、段々、何がブルブルなのか、何をブルブルさせているのかよくわからなくなってしまいました。
トランス状態というのはこういったものかもしれません…。

展示は今月27日から9/6まで!引き続き、DMの配送を承っております。
mail@tokin.info までお気軽にご連絡くださいませ〜。

今日はDMを書く日。

いつもゾンビ道場は書いているけど、郵便をかしこまって送るのは結構緊張します…。
投函してから
「…私あの方に書いた文面、間違えたんじゃないだろうか」
と、引き返せない悩みを抱き、あまりのどうしよもなさに自己嫌悪になってマクドナルドでコーヒーを飲んでいました。ここまで書いて思ったんですが、不必要に緊張しすぎですね。
今気付きました。

そんな折、以前、会社に勤めていた時の、強迫的な確認癖についてふと思い出したので書きます。
発達障害のようなはなしです。



当時、たぶん人生で一番確認癖がすごくて

・鍵を閉めたことを確認するために3回くらいドアの前に戻る

・クライアントへのメールの文面があっているか不安すぎて、一通メールを出すのに
書いて→一日置いて→次の日に文面を確認して→印刷してもう一回考えなおして→送る
という手順を踏む

・同じメールを何回も読み直して文面とニュアンスを頭で熟考してから上司に伝える。

・確認すればするほどわからなくなるからといって
「考えすぎると効率が…!考えちゃだめだ!!」とメールを送信して、
やはり文章が破綻している。

など、完全に無駄な手間をかけて仕事をしていました。
冷静に全部考えると、努力と思考の矛先が完全に間違えてたんだなと思います。

しかしもちろん、そういった完全に無駄な状況が多い仕事ぶりについて、かなり注意を受けていたので、当時は本気で
「こんなに真剣にやっているのに何を叱られているのか謎。社会は厳しすぎる。」
と思っており、
でも言葉だと「がんばってる」「がんばってない」の二択となるわけで

「努力をしろ」と言われば「かなり努力している」と答え、
「ちゃんとやって」といわれれば「相当ちゃんとやっている」と答え、
「態度で示して」と言われて、リアルに椅子に座る背筋を伸ばし(※態度とはこういうことだと思っていた)
もうなんか色々会話が通じなさすぎて、ここは外国なのか、How are you?と思っていました。

そういった経験を経て、会社を辞めて入院したので、その後発達障害という言葉を知ったときの感動、診断されたときの感動はすごかったです。
大変な経験だったと認識してるけど、あれじゃあ職場の人も大変だっただろうなと今となっては思います。 

(先生曰く)「苦手分野に対しては殆ど理解が出来ない」という事を自覚して、苦手な事に時間を割くのをやめてから、かなり顕著に健康になりました。
己を知ることは大事です。
人生いろいろ、人間もいろいろですよほんと…。

全部を理解することは難しいし出来ないけど
自分のことだってこんなにわかんないんだから、ちょっとくらいわかんない人がいても
「まあ、いろいろあるんだな」
と思えるくらいの度量は持っていたいものだなあ。