コンペというものに初めて出します。どきどき。

前の展示の時もそうだったんですが、作品を何かに出すときっていうのは
子供を送り出す親のよーな気分になります。
梱包などしながら、やおら

「アレやっちゃ駄目よ、これさわっちゃだめよ、あぶないわよ、気をつけなさいよ」

と絵に話しかけたくなったり、また、絵を運んでいる最中は、
誰かが絵が入った袋に当たろうものなら

「てめえ今、うちの子にぶつかったな、ぶっとばしてやる」

とか思います。

がんばってやったつもりでも心配だし、
完璧にやったつもりでも「どっか駄目なんじゃないか」という気になる。
心配性なのできりがないのです。
この絵の制作を通して、
「100%自己表現としての制作も、もちろんとても好きだけど
 やっぱり、「誰かの何か」を伝えるという作業をやりたい!」
と、改めて思いました。

最近もっぱら「かわいい!それ以上も以下もありません!」
という制作を続けていたけど
今まで長らくやってきたような、内面的な風景を描く制作も
やっぱり、やめられないみたいです。

ネクラさんが、そうそう簡単にネアカさんには変身出来ないようですYO。

私が好きなクリエイターとかアーティストの名前を並べると
好みに一貫性がないんですけど、
それは私が、作品そのもの以上に、
作品から、作った人の「気持ち」が見えるか否か?
という部分で判断しているからなのだと思います。

何か、その人の感じた気持ちを伝えるために作ったものというのは、
たとえそれが、暗くても重くても、決していやじゃない。
むしろ、それを「感じ取れた」という事を嬉しくさえ思う。

そうして感じ取った気持ちの上に自分の気持ちを重ねることが出来たとき
「うわあ、この人、好きだ」と思ってしまうのです。

うーん。うまく言えないけど。



自分の絵も、しかり。

本当のことを言うと、
どこへ行きたいとか、何がしたいとか、どう使われたいとか、
ほとんど考えていません。
どうあっても良いや。って思います。

自分の作品が、「誰かの何か」を伝えるツールとして機能してくれれば。
感じ取ってほしいし、私自身も、感じ取りたいのです。

もっといろんなもの見たいし、知りたいし、
そうする事で、感情や気持ちの引き出しを増やしてゆきたい。
それでそれを誰かに伝えてゆきたい。

そんな風に思います。


タッチは全く同一だけど、なんとなく微妙に最近の絵と
違うものを作ったような感じがしています。
ちょっとは成長したかな?


…それにしても始終、話が内面的でずびばぜん。
ぬ、ぬぐえない根暗の性!